
男の子は押しなべて機関車玩具が好きだ。筆者も中学まで熱中した。最初は三本レールの電気機関車。戦後すぐの昭和20年代、隣家の“兄貴”が所持していて彼の家の洋間から玄関を抜けて離れ座敷まで長いレールを敷設して3両連結車を走らせた。父親に初めて買ってもらったのは“Oゲージ”(レール巾32mm)。蒸気機関車キットを自作して子供部屋を周回させた。モーターの油の焼ける匂いが懐かしい。
その後機関車熱は冷めて興味の対象は女性に移ったがあるとき本家から機関車玩具と蒸気機関の模型が届いた。よく観ると両者とも本当に蒸気で動く玩具である。試しに蒸気機関模型に水を指してアルコールの火で熱してしばらくすると小指の先ほども無いシリンダーがカタカタと動き始めるではないか。そのシリンダーの往復運動は弾み車の回転運動に移されて車は勢いよく回る。そのスピードに兄弟で感激したことを思い出す。弾み車にはベルトや歯車が無いのでなんらの仕事をしない正に“原理模型”と言われる物であるがそれでも面白かった。蒸気機関車の方は具合が悪く実際には動かなかった。
これらの玩具がどうして本家にあったのか長年の疑問であった。ところがそれが最近解明されたので報告しよう。大沢家の写真帳にセピア色の一枚の写真があるのは以前から目にとまっていた。その写真には着物を着た小学生ほどの年齢の男の子とその周囲の畳や縁側、机の上に沢山の玩具が写っている。男の子の名前は福澤八十吉(やそきち)。私の父親の従兄弟で福澤諭吉の孫に当たる。撮影時期は不明だが1900年(明治33年)前後であろう。玩具は蒸気機関車が3台、蒸気船が1艘、蒸気機関原理模型が1台、蒸気ポンプ1台、蒸気クレーン1台、電車1台、自動車1台である。ところが最近本家の末裔からまた蒸気機関車2台と貨車1台が送られてきた。それと写真の中にある機関車と比べてみると全く同じものが写っているではないか。写真の左に写ある貨車とそれを引く機関車がそれである。そうなると本家にあったのは福澤家からのお下がりということになろう。諭吉は明治32年に亡くなっているがこれらの玩具が長男の孫へのプレゼントという可能性もある。
人類にとって水力に代わる革命的な動力として産業革命を担った蒸気機関。1785年ジェームス・ワットがピストン運動を回転運動にして飛躍的に利用され、カークライトが紡績機に応用、機関車には1804年トレビシックが開発してジョージ・スティーブンソンが1829年ロケット号で圧倒的なスピードと安定性を誇り「蒸気機関車の父」となる。子供の玩具として夢の技術である蒸気機関、中でも蒸気機関車をメーカーが売り出すのは当然の成り行きであった。1880年代までには光学器械メーカーや機械メーカーがこの分野に参入。これら初期の機関車は共通の形を持ち、車輪は4輪で円筒形のボイラーを支えておりその下部を油で熱するか直接火に掛けて沸騰させ、蒸気をシリンダーに導き前車輪より一回り大きな後車輪を動かすという仕組みである。このモデルは現在蒸気機関車玩具の世界で「Birmingham Dribbler(バーミンガムのよだれ)」と呼ばれているものである。走らせると水が垂れる所からそう命名されたそうである。筆者の手元にある車体と当時の写真を比較するとボイラーの上に乗る煙突の長さ、汽笛、安全弁などそっくりである。こうしてみると福澤家の玩具は19世紀末に購入した英国品である可能性が高いということになる。
現在このような玩具をライブスチームと呼んでいてそのコレクターは多いことが分かった。筆者が観たのは英国人の個人サイトで実に丁寧に解説していて参考になった。プロフィールを読むとやはり子供の頃親からクリスマスプレゼントにもらった機関車からこの趣味に行ったと言う。もちろんかつては男の子だった人である。